日本武尊
どんな伝承か
春日井市内津町から神屋町に至る下街道には、日本武尊にちなむ地名が残る。尊が東征を終え、甲斐・信濃・美濃を経て内津峠を越え尾張路に入った時、久米の八腹が、副将軍建稲種命が駿河の海で海鳥を捕ろうと舟を出し、突風のため誤って溺死した由を早馬で知らせた。尊は驚いて「あ、うつつかな」と言い、これが内津の地名の起こりだという。尊が山中に祭壇を設けて建稲種命を祀ったのが内々神社の起源とされる。帰途、西尾の地で内津山を振り返ると馬の尾が西を向いたので西尾の名がつき、その時岩の上に馬蹄の跡がついたのを土地の人は馬蹄石、駒の爪と呼ぶ。夜が明けそめたのが明知、仮泊したのが神屋、手を洗った所が御手洗、柏井は御膳水を奉った所と伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第7巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第7巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全97話(愛知・岐阜・長野・静岡=中部)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。