那智と谷汲から名を得た那谷寺
どんな伝承か
真言宗の那谷寺は、養老元年に泰澄大師が開いたと伝わり、千手観音像を刻んで岩窟に安置し、岩屋寺と名づけたのが始まりだという。のち寛和年間に花山法皇が参詣し、西国三十三か所の観音霊場にもまさる地とされて、一番札所である紀伊の那智山と、三十三番の美濃の谷汲山から一字ずつを取り、那谷寺と改めて七堂伽藍を営み、中興の祖と仰がれた。菩提寺町はかつて篠原奥村といったが、遺言によって法皇がこの地に葬られ菩提寺が置かれたことが町名の由来で、町内の小丘は法皇の御陵と伝える。今江町の御幸塚も、法皇がたびたび立ち寄ったことにちなむ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第6巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第6巻』所収の「文化叙事伝説」全44話(福井・富山・石川=北陸)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。