筵織りの失敗
どんな伝承か
むかし、この辺りは藁筵の産地で、秋の終わりから春先まで、親父も嫁も土間や納屋で筵を織り、縦縄をなうのが仕事だった。八貫筵といって七尾の波止場まで荷車で運び、倉庫に納めると、多くは船で北海道へ渡り、鰊や昆布を包むのに使われた。ある百姓の親父がろくでもないことを考え、五枚一束のうち上下の二枚だけを本物の筵にし、中の三枚の代わりに麦藁を入れ、目方を出すために畑の土まで詰めて縛った。検査の役人の目をごまかして納め、代金をもらって喜んだが、家で財布を出してみると、上下だけが本物の紙幣で、中はただの紙だったという。
原典より
むかし、この辺はワラ筵の産地やった。—— 鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史・自治体史(民俗))
『鹿島町史 通史・民俗編』所収の伝説。石川県鹿島町(能登・現中能登町、石動山麓と邑知地溝帯)に伝わる自然・信仰・歴史伝説を採録する。