木曽義仲と小田中の平家落人
どんな伝承か
今から八百年ほど前の源平合戦のとき、源氏の木曽義仲の軍勢が倶利伽羅山で平家を打ち破ったが、志雄の戦場ヶ原では平家に敗れた。その負けた方の軍勢が小田中まで逃げてきて、ヒラジン(平陣)という所に陣を構えたので、その名がついたといわれる。またモノミザカ(物見坂)は木曽義仲の兵隊が平家の様子をうかがった場所、クツカケバ(沓掛場)は軍勢が一服して濡れた沓や草鞋を木の枝や石の上に置いて干した場所だという。出陣のとき、義仲の武将今井兼平が古い馬の鞍を今井清左衛門家に置いていき、その鞍は今も土蔵にあるという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史・自治体史(民俗))
『鹿島町史 通史・民俗編』所収の伝説。石川県鹿島町(能登・現中能登町、石動山麓と邑知地溝帯)に伝わる自然・信仰・歴史伝説を採録する。