フロシキ嫁から嫁入り婚への道筋
どんな伝承か
著者は小河内郷の婚姻の移り変わりを次のようにまとめる。村ができた草創期は組合や若者組など地縁の力が強く、家の意向より共同体の意思が縁組を左右したので、略式のフロシキ嫁が普通に認められていた。組に分かれて他の組との縁組が増えると、双方の保障が求められて父方・母方をともに含む双系の親族が育ち、嫁方での朝聟入りと聟方での祝言を並べて行う型が生まれた。やがて家の意識と同族団が強まると、まずオマエ層が江戸後期に嫁入り婚を取り入れ、明治以降は遠方婚の広がりと明治民法の家制度によって中間層、さらに下層へと広まった。
原典より
つまり第一次のフロシキ嫁から、第二次の聟の喰い逃げ式の朝聟入り型が成立し定着した理由はこの点にあったといえる。—— 霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点(桜井徳太郎・桜井徳太郎・歴史民俗学・1977年(昭和52年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点(桜井徳太郎・桜井徳太郎・歴史民俗学・1977年(昭和52年))
『霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点』は、桜井徳太郎が一九七七年(昭和五十二年)に著し、筑摩書房から刊行した論文集である。昭和三十二年から五十年にかけて学会誌や雑誌、新聞に発表した論考を収め、民俗学と歴史研究の関係、郷土の民俗像の史的復元、古代のシャマニズムと憑霊、呪いの人形、怨霊から御霊への死霊観を論じる。後半で折口信夫の巫女観と柳田国男の祖先観を検討し、巻末にあとがきと初稿発表覚書を付す。