二度の大火が生んだ川内の秋葉講
どんな伝承か
川内は明治のうちに二度も大火に見舞われたと伝えられ、火の用心を目的として毎月二十三日に秋葉講を営んでいる。創立は明治より前とも言われるが定かでなく、講の掛軸の箱書きから、少なくとも明治の初めには存在したとわかる。いまは二組だが、昔は上組、中組、下組の三組があったという。講員は十名から十五名で、長昌寺も加わっている。宿では床の間に三本の掛軸を掛け、秋葉神社の護符や塩、水、線香、蠟燭、神酒を供え、榊とうどんの膳をあげる。先達が木魚と鉦で般若心経をあげ、祝詞を奏する。いまは長昌寺の木村法道が勤めており、勤行のあとは塩を口に含んで神酒をいただき、うどんで酒を酌み、宝引きをして夜を過ごしたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信(柏崎市(編)・柏崎市史・自治体史(民俗))
新潟県柏崎市の信仰と俗信を網羅する。