忠七の秋葉憑依と代官の対決
どんな伝承か
玉屋の小僧忠七は奇怪な振舞いが続いたため主人六右衛門から暇を出され、故郷の美濃金山に帰った。そこで秋葉大権現が乗り移っていると称し、御札を焦がしては「この家は火に祟りあり」と脅したので、人々は恐れて秋葉講を結び、忠七を神のごとく敬った。太田の代官所が吟味しようとし、代官が火防の守札を望んでいると偽って招くと、忠七は「秋忠」と大書し、白衣の信者百人と船で向かった。しかし代官村瀬八郎右衛門に容貌を熟視されるや震え出して詐術を白状し、御札は自分が降らせたもので金子も多く盗んだとして七十五両を差し出したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。