太郎大神道の里程石
どんな伝承か
網掛は南から西を山に囲まれ、東は開けて千曲川の向こうに山波が連なる。朝の日も夜の月も太郎山の方角から昇るため、遠く太郎山を遙拝する者が多く、太郎山講やお日待、代参が行われていたという。明治初年の頃、卯右衛門翁という熱心な信仰者がいた。ちょうど村の上から金井村へ渡る舟橋ができて参詣者が増えたが、道のりは遠く山道で難儀だった。そこで翁は参詣者の便を図り、村の水神宮から太郎山までの道程を測って私財を投じ、一町ごとに路傍へ石杭を立てた。その数は七三本に及び、水神宮前には自是東太郎大明神迄七三丁三〇間と刻んだ石の基柱を建てたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
坂城町誌 上巻(民俗編)――伝説(坂城町(編)・坂城町誌・自治体史(民俗))
『坂城町誌 上巻(自然編・民俗編)』所収の伝説。長野県坂城町に伝わる村上義清ゆかりの伝説を採録する。