長力牛之介
どんな伝承か
笹原の大仁吾池を見下ろす小高い丘に「勇勝力山居士」と刻んだ牛之介の墓石が建っている。新見藩の年貢米を大きな牛で運んでいた青年が、土橋で新見藩主の行列に出会い、進退窮まって牛の足と米を抱えてらんかんから身を乗り出し道を譲ったところ、藩主はその豪力を称えて「長力牛之介」の姓を与え、藩内であれば自由に稲を刈って食べてよいと許した。以後牛之介は他人の稲を刈るようになり農民に殺され、加担者たちにも不幸が続いたため、明治十六年二月十一日に墓石を建てて供養したという。
原典より
笹原の大仁吾池を見下す小高い丘に「勇勝力山居士」と刻んだ牛之介の墓石が建っている。—— 北房町史 民俗編(現代(町史民俗編)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
北房町史 民俗編(現代(町史民俗編))
岡山県北房町の伝説。潮の満ち引きと連動して水が増える天神川、戦死者や口封じに殺された者を祀る七人みさき、盗まれた観音を刻んで往生した老人の身替り観音、京都の大火を消す八天狗、夜な夜な田を荒らす駒繋ぎの絵馬、賊を湯封じで平定した吉備津彦命の湯荒神、つちぐも退治と裏切りの神田池など、霊水・霊石・武士の霊・弘法大師伝説を豊富に収める町史民俗編。