青梅から担いできた加佐志の力石
どんな伝承か
狭山市加佐志には三、四〇貫、およそ一六〇キログラムはあろうという大石が残る。土地の記録によれば、この石は郷土の力士仮名頭粂吉が御嶽山へ参拝した帰り道に、青梅から担いで持ち帰ったものだという。粂吉は加佐志の生まれで、本名を奥富伊平といった。弘化二年の二月場所に綾瀬川角蔵の名で序ノ口へ上がり、のちに仮名頭と改める。いろはの「い」の字を書いて「かながしら」と読ませたという。最高位は幕下二十三枚目で、力は強かったが相撲は下手で引退し、加佐志の実家に戻って農作業を手伝いながら、近隣に怪力の逸話をいくつも残した。
原典より
加佐志にたいへん力の強い大男が住んでおった。—— 狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当)・昭和(昭和五十年代調査・刊行。本文に昭和五十三〜五十四年の採集記載)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当)・昭和(昭和五十年代調査・刊行。本文に昭和五十三〜五十四年の採集記載))
『狭山市史 民俗編』のうち「五 伝説・昔話・世間話」を収録した一次資料。昭和五十年代に堀兼・入間・奥富・柏原・水富・入間川の各地区で座談会・聞き取り調査を行い、明治〜大正生まれの古老から採集した口承文芸を、見出しごとに原文に近い形で記録する。