北澤老医の義気
どんな伝承か
大黒鉱山の遺体取り片付けのため、著者は六月二日夕刻に北安曇郡北城村の鉱山事務所に到着した。北城村は松本から糸魚川に通じる小さな宿駅で、人家百余戸、白馬岳・杓子岳・鑓ヶ岳・大黒岳などの探険者が入り込む所である。警察分署は、医師が登山を承諾しないため手続きが進まないという。著者が奔走しても医師はみな口実をつけて断った。尋ねあぐんだ五日の夕刻、隣の部落で北澤某という六十二歳の老医に会い、事の起こりと人道問題を説くと、老医は、イヤ分明りました、ヨロシイ、と即座に快諾した。中風症の身で、途中でへこたれたら許してほしいと念を押しつつ、大黒岳へ向かう意を示したのである。六月七日、一行は北城村を発した。
原典より
尋ねあぐんだ五日の夕刻其隣り部落にて一人の奇篤なる老醫に面會した、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。