河野村の神事と獅子狂言
どんな伝承か
下伊那地方では田村村・河野村方面にもお札降りがあった。河野村では慶応三年十月初旬、崎左衛門の家へ蚕玉明神・洲原大神宮・天照皇太神宮・子守大明神・諏訪大明神などの札が次々に降ったという。札が降るたびに神主を呼んで神事をおこない、赤飯を炊いて酒を振る舞った。ここでも女が男に変装して祝祭の家へ踊りこんだが、そのほかに祇園囃子を鳴らし、獅子や狂言を仕組んだり、ねりを繰り出したりして、村を挙げての祝祭となった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史・昭和中期~後期(推定))
本書は慶応3年(1867年)7月から慶応4年(1868年)3月にかけて、信濃地方で発生した大規模な「お札降り」現象を記録した歴史文献である。三河渥美郡に始まった札降り現象は東海道沿いに伝播し、名古屋での流行を経て信濃各地に波及した。飯田、高遠、松本、諏訪などの城下町から農村部まで広範な地域で、神社のお札や御幣が降下したと報告され、各地で「豊年踊り」と称される大規模な祝祭が展開された。