被服廠跡に積み上がった焼死体
どんな伝承か
関東大震災のあと、著者は被服廠の跡へ行ってみた。いま震災記念堂が建っている場所である。ここ一か所だけで六万人が死んだ。鎮火するとすぐ陸軍のトラックに乗せてもらって駆けつけたが、焼死体がぼろ屑の山のように積み重なり、親の両手に七、八人の子がまきついたまま死んでいる姿もあった。生き延びた出版社の社員によれば、巡査が箪笥や風呂敷包みを捨てろと狂ったように怒鳴っていたのに人々はなだれ込み、荷物から荷物へ火が渡って、二十分ほどで猛火の渦になったのだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
私の心霊術(長田幹彦・昭和中期(1940年代~1950年代推定))
幼少期の地獄極楽のぞきからくり(私の心霊術)/心霊術と降霊の実演/作家長田幹彦の心霊体験/交霊と幽霊との接触/明治〜昭和の心霊文化