教祖さまと呼ばれた念の治療
どんな伝承か
西丸震哉が高輪に住んでいた頃、すぐ近くに住む共同通信の社員が、三十九歳の若さで脳溢血に倒れ右半身不随になった。見舞いに行った西丸は、賦活できる脳細胞があるならと考え、その晩の真夜中に三十分ほど想念を相手の脳へ集中してみた。翌晩訪ねて指を動かすよう促すと、動くはずがないと言っていた指が動き、手も頭の上まで上がった。二、三日で本人は立って歩けるようになり、一月ほどの休職で杖をつきながら出勤できるまで回復した。その家の子供たちは西丸を「教祖さま」と呼んだ。近所の高輪教会の老牧師は、素人がやると術者のほうが危ないと戒めたという。
原典より
遊離した魂が自分の身体へ帰りそこなって、症状としてはポックリ病として片づけられてしまうという。—— 続 山だ原始人だ幽霊だ(西丸震哉・山岳・怪異エッセイ・1972年(昭和47年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
続 山だ原始人だ幽霊だ(西丸震哉・山岳・怪異エッセイ・1972年(昭和47年))
『続 山だ原始人だ幽霊だ』は、西丸震哉の随筆集で、あとがきの日付は昭和四十七年三月十日である。出版の都合で前後編に分けたうちの後編にあたり、ニューギニアやニューブリテン島、トロブリアンド島の部族を訪ねた探訪記と原始社会の食生活論に続いて、幽霊についての自説と、自身や身内が出会った怪談を収める。終わりには手相、テレパシー、呪い殺し、雨やみの術、インドから自宅へ魂を飛ばす実験の話が並び、カバーと挿絵も著者が描いたとあとがきにある。