一乗寺下り松の決闘
どんな伝承か
清十郎と伝七郎を破られた吉岡家の門人数十人は、清十郎の子又七郎を立てて、一乗寺下り松での決闘を武蔵に申し込んだ。武蔵は一人で受けて立ち、助太刀を願い出た門人もきっぱり退けた。これまでの二度の勝負では自分が遅れて行ったので、今度は先に行こうと考え、鶏が鳴くころ一人で宿を出た。途中で八幡の社に参り、まだ暗く静かな下り松に着いて松陰で待っていると、又七郎たちが提灯を手に、今度も武蔵は遅れて来るだろうと話しながらやって来た。武蔵はいきなり大声で名を呼んで斬り込み、又七郎を真っ二つにし、門人らを追い散らした。
原典より
彼らが下り松の許に近づいた時、武蔵は「又七郎待ち兼ねたり」と、だしぬけの大声を発し、多勢の中に飛び込んだ。—— 観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究)
『観念は生物なり』は、福来友吉が諸雑誌に発表した論文を集めた心理学と心霊研究の論集で、日本心霊学会刊、序は大正十四年春に箕面山の麓で記されている。観念と身体の関係、夢、潜在精神と病気、プランセット(自動書記)、狐憑病の伝染や尼寺のヒステリー、宮本武蔵の剣道などを論じる。明治四十三年以来接した御船千鶴子・長尾郁子・三田光一ら八人の通力者の透視と念写の実験も報告し、「観念と身体との関係」から「生命学と心霊研究」までの十四篇を収める。