新居宿・飯田宅への御札降り
どんな伝承か
遠江国新居宿本陣の飯田武兵衛は、羽田八幡宮の羽田野敬雄の縁戚であり平田門人でもあって、敬雄とは足しげく往来していた。新居関所が吉田藩支配であり、新居宿助郷として東三河の村々が指定されていたことから、新居宿は三河との関係が深い。遠江ではじめて御札降りがあったのは慶応三年八月九日の新居宿であるが、それがほかならぬ飯田宅への降札であったのは、はたして偶然であろうかと問われている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。