松山新田村・日待で御札発見
どんな伝承か
遠江国松山新田村の「松山記」にはこうある。近村はみな御札が降って祭っているのに当松山へは降らず、村内が心安からず思っていた。そこで五郎兵衛方で日待をおこない、その費用は五郎兵衛が施行し、一同が浜で垢離を取った。日待に呼ばれて信心をすると、その夜、向かい座敷の庭に植えてある萩の上に皇太神宮の御札が降っているのを見付け、近隣の人々に知らせたという。御札の降らない村の焦燥が生んだ作為の例とされる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。