稲沢地方の御札降り
どんな伝承か
尾張国中嶋郡下津郷の村瀬周蔵が書いた「天降神仏御記録」は、近村を巡回して御札の降下した家々を歴訪した記録である。それによれば慶応三年八月、あるいは八月二十七日から十二月十五日までの間に、五六か村へ六五四枚の御札が降った。うち稲沢市域は一八か村で二〇一枚である。最後の十二月十五日の降札には「天降臨磯部御神前 国府宮蜂須賀左門介」とあり、この磯部御神前とは同地の御鍬社を指すとみられる。山田又兵衛の「大福帳記録」には、九月十四日に中町へ降ったのをきっかけに、降った日より七日ずつ祭をしたとある。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。