漁火の怪の事
どんな伝承か
友人の高木氏が由宇村の横道の学校で訓導を勤めていた頃、ある日の暁、同村の市へ用事があって出かけた。夜はまだ明けず、物寂しい山路を辿っていくと、遥か向こうに松明が数多く点し連ねられ、折々人声も風に乗って聞こえた。晩秋の頃であったから、麓の由宇川のあたりで鮎猟をしているのだろう、あそこまで行けば道も明るくなろうと急いだ。ところが近づくにつれて火は次第に消え、人声も聞こえなくなり、元のとおり暗いままであった。土地の人は、その頃に夜川をする者はなく、あそこには狐がいて人を悩ますと言い伝えるから、その仕業で弁当を狙ったのだろうと語った。
原典より
友人高木氏、由宇村の横道の学校訓導を勤めし頃、或日暁に、同村の市に用事ありて出て行しに、夜は未だ明けずして、物淋しき山路を辿り、ふと見れば、遥に向ふに松明多く点し列ね、折々人声も風に聞え、をりふし季秋の頃なれば、麓なる由…—— 岩邑怪談録(広瀬喜尚(編:藤田葆/増補:今田純一/付録:静間密)・天保年間成立・明治期増補(原本明治四十三年成稿)/昭和51年(1976)岩国徴古館刊) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
岩邑怪談録(広瀬喜尚(編:藤田葆/増補:今田純一/付録:静間密)・天保年間成立・明治期増補(原本明治四十三年成稿)/昭和51年(1976)岩国徴古館刊)
岩国藩士・広瀬喜尚(仁兵衛、天保頃の博識家)がまとめた郷土怪談集を核に、明治期に今田純一(散木園主人)が二十余条を増補(追加)し、さらに藤田葆が古老聞き取りの『続怪談録』・歴史的瑞兆を集めた『実事談』・幼童の変死記録を集めた『変死部』を継ぎ、巻末に静間密の怪火・投石怪五話を付録とした、岩国・錦見・横山周辺を舞台とする総合怪異録。