由岐沖砲聲說
どんな伝承か
「ええぢゃないか」が鎮まった理由の第二として、由岐沖砲声説が語られる。人々が踊り狂う最中に突如として轟然と砲声が鳴り響き、今の今まで我を忘れ家を忘れて騒いでいた踊子が、慄然として我に返り踊り鎮まったというのである。「新野町史」は、正月五日となって海部郡由岐沖の方に大砲の音が起こったので、一同青くなって正気に復したと記す。この砲撃は幕府の海軍榎本釜次郎が大艦に乗って薩摩の軍艦を追撃し、伊島沖で砲戦してついに由岐沖で撃ち沈めたものだと伝えられている。
原典より
これは人々の踊り狂ふ最中突如として、轟然、砲撃が鳴り響き、今の今まで吾れを忘れ家を忘れて騒いでゐた踊子が、慄然として吾れに歸り踊り 鎮つたといふ。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末))
概観篇では御降り(御札降り)に関する騒擾、伊勢神宮への御蔭参り・抜参りを慶安・宝永・明和・文政・慶應と時代別にたどり、慶應のええじゃないか、阿波のええじゃないかへと展開。幕末阿波(徳島)の御札降り・群集乱舞・世直し的民衆運動を、各事例の冒頭に【日付】【場所】【人物】【状況】マーカー付きで網羅した民俗・世相史。