浅茅が原で討たれた豊島彦五郎
どんな伝承か
文明九年ごろ、扇谷方に背いた豊島彦五郎重貞は、一族郎党五百余人を率いて浅茅が原(台東区石浜町、旧竜泉寺門前一帯)に陣を敷いた。太田道灌は七百余騎で真乳山に出張し、平場へ押し出して合戦となる。彦五郎は自ら奮戦するが味方は総崩れとなり、宝田源八郎との一騎打ちで太刀を投げ捨てて組み合い、両馬の間に落ちて戦い疲れの末に討ち取られた。浅茅が原はのちに梅若丸の母が入水したと伝わる鏡の池や、妙亀尼のけさ掛の松など数々の伝説が残る地でもあった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・昭和初期~昭和中期)