このしろの吉兆と千代田の村名
どんな伝承か
太田持資が所領武蔵国荏原郡品川の館から扇が谷へ出仕する途すがら、江之島弁才天に参詣した帰りの船に、一匹の魚が飛び込んだ。取って見ると「このしろ」であったので、持資は、このしろは九の城なり、時に取っての吉兆であると大いに喜んだ。かねて城郭を築こうと思っていた彼は荏土に来て一つの勝地を見つけ、地形も方位も意に叶ったので土地の者を召し寄せて村の名を問うと、御縄張りの内は千代田・宝田・祝田という三ヶ村だと答えた。国の名は武を蔵する、郡の名は豊なる島、村名もいずれも目出度い唱えだと喜び、千代田若狭守・宝田源八郎を奉行として昼夜人夫を励まし、長禄元年丁丑三月朔日に造営を成就したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・昭和初期~昭和中期)