人買いから逃れた健丸と黒部の橋
どんな伝承か
黒部川の名の起こりを伝える古文書の話である。応仁の乱で一族が散った黒部内大臣真房の嫡子で十二歳の健丸は、家臣の増田小太郎秀郷に背負われて鎌倉を目指したが、渡し舟の騒ぎで小太郎とはぐれ、人売りにさらわれた。健丸は利根川筋で子を売り買いする笹川の嶋右衛門のもとへ送られたが、その子の嶋之助は健丸が男児と知り、夜のうちに須賀山の岡のはずれまで送って逃がした。健丸は飲まず食わずで小貝野を抜け、大作尻の橋のたもとの小屋で伏していたところを宮前の玄蕃に救われたが、応仁三年正月に十三歳で世を去った。花の手向けが絶えない塚は花立山児塚と呼ばれ、健丸が伏した橋は黒部の橋と名づけられたという。
原典より
大作尻の橋本も、黒部内大臣真房卿の御嫡子、健丸児子の臥上なればとて、黒部の橋と名付け書き上げたれば、今もなほ黒部の橋、黒部の川と通称し来たるやとぞ。—— 東庄町史 下巻(東庄町) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東庄町史 下巻(東庄町)
『東庄町史 下巻』は、下総の香取郡東庄にあたる千葉県東庄町の町史下巻のうち、「民話・伝説」の項である。須賀山の地名伝説、高部と羽計の狐の祝言、城山の大蛇、花香稲荷縁起、黒部川と児塚の由来、干潟十八ヶ村の名付け、姥捨ての定命窪など十五の項を収め、小南の七不思議や東庄七井の一覧も含む。半数あまりの項に伝承地の区名を添え、『かぎろひ』記念特集号や『県民の森の歌』、「上代郷明細記」「東荘志」、旧家文書などの出典を記す。