敵の矢を拾い集めた矢拾観音
どんな伝承か
渋谷に伝わる観音像は慈覚大師の作といわれ、金王丸昌信の姿を写したものだと語られている。保元年間の合戦のさなか、この観音が一兵卒の姿となって戦場に現れ、敵の放った弓矢を数多く拾い集めては味方の陣へ運び入れたという。その働きにちなんで、矢拾観音と呼ばれるようになったと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説名彙(柳田国男・日本放送協会・昭和25年刊)
柳田国男・日本放送協会編『日本伝説名彙』を全650話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。