早川村木ノ宮権現の惟喬親王漂着譚
どんな伝承か
小田原の西の早川村の木ノ宮権現は地蔵菩薩を本地とし、まったく別系統の惟喬親王の口碑を伝えている。「相中機志」中巻によれば、親王は天安二年に伊豆国へ流された。その翌々年の貞観二年、御息所は若宮・姫宮を連れ、小倉次官兼久・加藤中務丞光俊・その弟光吉の三人を供として宮の跡を追い下られた。七歳の若宮が途中で薨じたのを神に祀ったのが、同じ足柄下郡岩村の岩ヶ崎児大権現である。親王は海上に風波が荒れて思わず相州唐土ヶ浦に着き、この早川の里で隠れられたので、住まいの跡に社を建てて貴宮と崇め、加藤・小倉の二家が代々これに仕えた。これが後世の早川村の祖であったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第4巻(柳田国男・定本柳田国男集)
柳田国男編『定本柳田国男集 第4巻』を全822話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。