六部地蔵
どんな伝承か
平安時代の末、松子城主の大須賀氏は源氏に付き、屋島や壇ノ浦の戦いに加わった。家臣の若武者大原三之丞は手柄を重ねたが、平氏を追う途中で仲間と諍いを起こして斬ってしまい、追放となる。三之丞は出家して九州で死者を弔ったが、故郷に残した許嫁のおせんを忘れられず、十年後に六部姿で下総へ向かった。長旅で目を病み、城下の松子には入れず隣村の白作の知人を頼ると、おせんはすでに二児の母だと聞かされ、その場で倒れて息絶えた。知人は畑に葬って塚を築き、のちに村人が石の地蔵を建てた。これが六部地蔵で、目が治ると評判になり、手を引かれて参る人が多かったという。
原典より
後にこの塚に村人が石の地蔵を建て六部地蔵と呼ぶようになり、お参りすると目が治るとの話が広まった。—— 大栄町史 民俗編(大栄町) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
大栄町史 民俗編(大栄町)
『大栄町史 民俗編』は大栄町の町史の民俗編で、ここに収められているのは第六章「ことばと生活」第一節「伝説」の部分だけである。北総台地にある町内の地区ごとに、源頼朝の鞍掛けの松、城主大須賀氏・伊能氏の話、弁天様と道祖神、狐・狸・河童・大蛇の話、作男や長者の話、古墳の埋蔵金の話などを伝える。伝説は歴史・神仏・動物・人物に関する伝説と「トーカとムジナの話」の五項に分けられ、末項では狐に化かされた体験とムジナの火の話を「〇」の箇条で並べる。