辛垣城下に並ぶ三田一族の墓
どんな伝承か
三田氏は上杉方に属していたが、上杉が小田原の北条に敗れると勝沼城を退き、近くの二俣尾の辛垣山に移って残党と連絡を取り抵抗を続けた。永禄六年、北条氏照が八王子の滝山城から攻め寄せて辛垣城を落とし、三田氏はついに滅んだ。城主の三田綱秀は逃れた先で切腹して果てたという。辛垣城の下にある海禅寺には、この戦いで討ち死にした三田一族の墓がいまも並ぶ。この寺は三田弾正綱秀が再興したとも伝え、将門の位牌を蔵している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・(平将門伝説の研究書))
梶原正昭・矢代和夫『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』を、論考の節単位で全67事例として収録した研究書(地域伝説集ではない)。平安中期の平将門(承平天慶の乱)をめぐる伝説を、英雄の死と伝説の誕生(冥界・調伏・怨霊・首の怪異・七人の影武者・妙見信仰・石化)、落人たちの運命(将軍太郎良門・如蔵尼の堕地獄と救済・滝夜叉姫・桔梗塚の寵妃・後裔と将門遺跡)、将門伝説の展開(馬の文化・関東一円の分布圏・文芸化・首塚の祟りと再評価)として論じる。