堤の人柱
どんな伝承か
西都市の稚児ヶ池は、もと鶴の池と呼ばれていた。城主壱岐加賀守義道が百間余りの堤を築かせたが度々切れ、石貫大明神より池の沼地に埋められた黒白二匹の大蛇の霊を鎮めるため人柱を立てよとの神託があった。家臣法元猶之助の三男長千代丸が、浅黄の着物を着て池の端を通る者を選ぶよう提案し、自ら通りかかって正長元年二月二十七日、辞世の歌を詠んで切腹し、堤に埋められたという。以後、この池を稚児ヶ池と呼ぶようになった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。