堤の人柱
どんな伝承か
西都市の都万神社の西にある池は、昔鶴の池と呼ばれ、しばしば氾濫した。城主壱岐加賀守義道が長堤を築かせたが水があふれるため、石貫大明神に伺うと、埋められた龍の霊を鎮めるため人柱を立てよとの神託を得た。家臣法元猶之助の三男長千代丸が、翌日萌黄色の着物を着て池の端を通る者を選ぶよう提案し、自らその姿で通りかかって切腹し人柱となった。以来この池は稚児どんの池と呼ばれ、氾濫しなくなったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。