柿本人麿
どんな伝承か
石見に帰った人麿は、任地である角の郷恵良の国府に赴いた。二、三年後に里の井上という豪家の女と婚した。これが世にいう恵良媛である。井上の家のそばには柚の木が、人麿の家のそばには柿の木が植えてあったという。人麿は郷国に落ち着いて殖産興業に努め、特に紙を造ることに力を入れた。後の世に石見半紙が名高くなったのは人麿のおかげだという。しかし和銅二年三月十八日、四十八歳の若さでこの地に亡くなった。その地の字を四十八といい、熱を逃がす透床を造った地をスイトコ、頭を冷やした石をマクライと呼ぶと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。