聖徳太子と七不思議
どんな伝承か
堺市上は、元は十八戸ほどの小さな部落であった。聖徳太子がこの地に来遊した際、風光のよいのを賞して、以後は佳村と呼ぶのがよいと言ったので佳村となり、後に転訛して上村と書き「かむら」と呼ぶようになったという。また太子が四天王寺を建立する際、上村の住人が出色の奉仕をしたので、太子から箕作りの方法を教えられた三人が村に帰って一族にその技術を伝え、生業とした。これを世襲して箕株と称し、株外の者は箕作りを禁じられていた。その箕は竹材を骨とし桜の皮で編んだもので、特に太子箕と呼んだ。箕株を持つ者は太子講を作り、毎年年忌を営んで太子の徳を讃えたが、今は途絶えていると伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第9巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第9巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全100話(奈良・大阪・和歌山・三重=近畿南部/紀伊)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。