石標と国分寺跡に残る流罪の記録
どんな伝承か
竹ノ内村と大場村の丸山というところに石標が立てられ、国分寺の墓所と接している。承元元年三月十六日、親鸞聖人は流罪となって京都を出た。罪名は藤井善信、俗衣は朽葉色の黒筋直衣で、検非違使らに送られて同月二十八日、越後国頸城郡の国府の郡司萩原民部少輔敏景のもとに着き、同年四月に国分寺の譲舎へ移って五年を過ごした。建暦元年十一月十七日、岡崎中納言範光を通じて流罪を許され、翌年八月に越後を出て北陸道を経て帰京したという。聖人は日野有範の子で、九歳で青蓮院に入り、二十九歳で黒谷の源空に会って浄土の教えに帰したとも記されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第3巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第3巻』は、山形・福島・新潟の三県に伝わる伝説を集めた叢書『日本伝説大系』の一巻である。湖水の干拓、鮭の大助、八百比丘尼、弥三郎婆、安達ヶ原の鬼婆、産女、雪女房、河童などの話のほか、松・杉・石・池・清水・温泉・長者にまつわる伝説を、口承資料を主に採っている。全体は「文化叙事伝説」と「自然説明伝説」に分かれ、各項目は例話と伝承地を掲げ、〔類話〕〔文献〕〔参考〕で近世以後の史料や県外の類例を補う。