第一次大本事件の検挙日予知
どんな伝承か
王仁三郎は、第一次大本事件の弾圧をあらかじめ知っていた。弾圧を受けることは、以前から機関誌『神霊界』の神論や王仁三郎の言葉によって予示されており、辛の酉の年(大正十年)の紀元節にまつわる大変事が筆さきに示されていた。大正十年二月十一日の紀元節に王仁三郎の拘引状が発せられ、翌十二日に検挙となった。神聖な地を汚さぬためか、王仁三郎は綾部を離れ、大阪の『大正日日』本社で原稿を書いていて悠々と検束された。急襲された綾部本部でも、幹部の四方平蔵らは平然と『取調べが十年おくれております』と応対し、殉教めいた悲壮感もまるでなかったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言・現代(評論)/明治〜昭和(対象))
加藤正民が「天下の浪士」の立場から、出口王仁三郎(1871-1948)を心霊的視座で描く評論。明治25年の出口ナオの神がかり(艮の金神・三千世界一度に開く梅の花)、水行の奇蹟、無筆のナオの自動書記、日清・日露戦争予言の具体的中を起点に、国祖隠退の大本神話と、ナオ(A)と王仁三郎(B)に具現した二大霊流・「火水の戦い」を論じる。