小豆観音
どんな伝承か
むかし則知という武士が蜂屋にやって来て、村の守りとなるようにとお堂を建て、観音をまつった。年を経たある年、大水が出てお堂は流され、仏像も土に埋もれて行方が分からなくなった。村人は仏を探して埋もれたあたりの土を掘り、開墾を続けていたが、あるとき土の中から不思議な光がさすので掘り起こすと、探し求めていた観音像であった。村人は山ぎわに堂を再建し、もち米に小豆をまぜた飯を炊いて供えた。いまも堂の前の岩に小豆のような小石が入っているのは、その名残りだという。武士の名にちなんで集落を則友といい、常に開墾したことからジョウカイ(常開、のちに上開)の名がついたと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
美濃加茂市史 民俗編――伝説(美濃加茂市(編)・美濃加茂市史・自治体史(民俗))
『美濃加茂市史 民俗編』所収の伝説。岐阜県美濃加茂市の伊深・太田・蜂屋・三和ほか各地に伝わる口承を採録する。