分けてもらいたくて憑いた稲荷
どんな伝承か
東田川郡大泉村の八久和では、屋敷内の祠に稲荷を祀る家が三軒あり、上ムラの三十郎、下ムラの藤右衛門と藤兵衛がそれである。ほかの村人も祭りや願かけのときには参りに来た。藤右衛門の稲荷は田地とともに田沢の太郎左衛門方から譲られ、藤兵衛のはその分かれだが、三十郎のものは由来が違う。支那事変のころ、この家の者が兵隊に出て病んだのでミコに伺うと、鱒淵の森のこしの稲荷が憑いていると告げられた。子が増えたので分けてほしくて憑いたのだというので、さっそく分けてもらって祀りはじめたものだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・石塚尊俊・民俗学・昭和(民俗調査))
民俗学者・石塚尊俊『日本の憑きもの―俗信は今も生きている』。日本各地の憑きもの俗信を実地調査と文献で体系化した研究の決定版。