小野兵部の遺児高貞と根本山信仰
どんな伝承か
出羽国から来て唐沢山城主の佐野宗綱に仕えた小野兵部高吉は、根本山の堂々とした姿に深く心を寄せていた。天正十二年の十二月、高吉は弟の高重とともに長尾顕長の家臣の手で謀殺された。当時七歳だった長男の高貞は十三歳になると京都の聖護院から令旨を受け、草堂を建てて要谷山大学院を開き、不動堂も設けて根本山の神を篤く信仰した。境内には十二山を遥かに拝む籠堂を建てて信者の便を図り、子孫が代々この地を守ってきたという。根本山神社は諸願成就や五穀豊穣、養蚕の繁栄、火難や盗難よけに霊験のある神として、各地から信仰を集めている。
原典より
その時七歳であった長男高貞は、一三歳になって京都の聖護院の令旨をいただき、草堂を建てて要谷山大学院を開き、不動堂を建て、根本山神を信奉した。—— 田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史)
『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説』は、田沼町が編んだ町史第一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。僧や鎧の祟り、神社の霊験、佐野宗綱の出陣、藤原秀郷ゆかりの井戸、義民、地名の由来、落人、寺社の縁起など、町内各地に伝わる話を地名や家名とともに記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分けて並べ、ことわざの節は調査員の協力で集めたものを五十音順に掲げるが、いの項で終わっている。