矢を抜いて果てた武将と藤平が渕
どんな伝承か
文治二年の赤見山の戦いで足利有綱に従って戦った佐野一族の近藤兄弟は、長谷場の駒藤で自害したと伝わるが、この地にはほかの武士の最期も語り継がれている。安藤次良兵衛尉という武将は、駒藤から一・五キロほど引き下がった所で、身に受けた矢を自分で引き抜いて自害した。そのためその地はかつて矢抜台と呼ばれ、今の字柚の木がそこにあたるという。また藤平という者は、東の山すそを流れる野上川に身を投げて果てた。その場所は今も藤平が渕と呼ばれている。
原典より
なお、安藤次良兵衛尉という武将は、駒藤から一・五キロメートル程退いて、手負いの矢を自ら抜いて自害した。—— 田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史)
『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説』は、田沼町が編んだ町史第一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。僧や鎧の祟り、神社の霊験、佐野宗綱の出陣、藤原秀郷ゆかりの井戸、義民、地名の由来、落人、寺社の縁起など、町内各地に伝わる話を地名や家名とともに記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分けて並べ、ことわざの節は調査員の協力で集めたものを五十音順に掲げるが、いの項で終わっている。