木曽義持の応神天皇像と岩崎の八幡宮
どんな伝承か
朝日将軍木曽義仲が元暦の戦いに敗れて一族が滅んだのち、その嫡孫とされる木曽左馬助義持がひそかに京都を逃れて岩崎へ来住し、岩崎孫太夫と名を変えて村を開いたと伝わる。義持は後に出家して朝日山東昌寺を建て、父祖の冥福を祈った。義持は、義仲がいつも兜に納めていたという高さ五センチほどの漆黒の応神天皇像を携えてきていた。岩崎の姓を継いだ嫡子の孫左衛門は佐野家に仕えて城を築き、この像を居城の鬼門にまつって一族の氏神とした。明応年間に子孫の弥太夫が唐沢山城の近くへ移ると、村人は岩崎氏をしのんで御門の山に社殿を建て、村の氏神とした。これが今の八幡宮だという。
原典より
義持は、義仲が平生兜の中に納めていたといわれる、高さ約五センチメートルの精巧にできた漆黒の応神天皇の御像を奉持してきた。—— 田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史)
『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説』は、田沼町が編んだ町史第一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。僧や鎧の祟り、神社の霊験、佐野宗綱の出陣、藤原秀郷ゆかりの井戸、義民、地名の由来、落人、寺社の縁起など、町内各地に伝わる話を地名や家名とともに記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分けて並べ、ことわざの節は調査員の協力で集めたものを五十音順に掲げるが、いの項で終わっている。