自害した近藤兄弟を葬る近藤塚
どんな伝承か
佐野一族の近藤頼茂と景頼の兄弟は、赤見山の戦いで有綱に従ってよく戦った。流れ矢を受けながらも主君に付き従って戸室まで来て、その最期を見届けると、さらに奥へと進んだ。しかし長谷場の真ん中あたりで傷の痛みに耐えられなくなり、馬を下りていさぎよく自害した。文治二年六月二日のことである。亡骸は西の柿惣地山のふもとに手厚く葬られ、これを近藤塚と呼び、この辺りを駒藤という。のちに佐野家に祟りがあったため、建武元年に佐野広綱が社殿を設けて兄弟の霊を祭り、その後佐野重綱が両社大明神として建て直した。これが大鳥籠守神社だと伝わる。
原典より
長谷場の中央に当たる所で、二人は傷の痛みに堪えかね、馬から下りて潔く自害して果てた。—— 田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史)
『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説』は、田沼町が編んだ町史第一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。僧や鎧の祟り、神社の霊験、佐野宗綱の出陣、藤原秀郷ゆかりの井戸、義民、地名の由来、落人、寺社の縁起など、町内各地に伝わる話を地名や家名とともに記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分けて並べ、ことわざの節は調査員の協力で集めたものを五十音順に掲げるが、いの項で終わっている。