かたがり地蔵(妙法窟の摩崖仏)
どんな伝承か
かたがり地蔵は、もとは白山と鶴来の境、旧白山街道の妙法窟のあたりの岩壁に刻まれた磨崖仏だった。古い記録によれば、霊亀二年に泰澄大師が舟岡山のふもとの妙法の石室にこもって祈ったといい、像は大師が自ら彫ったとも、大師をしのんで作られたとも伝わる。杖を肩にかけた座像で、傾いて見えることからこの名がある。この地蔵より下流では手取川の洪水の害が出ると言われた。同じ岩壁の不動明王は鶴来の火難を除くために彫られたという。明治に七ヶ用水の拡張で道が付け替えられた際に切り取られ、地蔵は旧白山小学校の横の小川のそばへ移された。
原典より
かたがり地蔵は通常杖を持つ立像であるが、このかたがり地蔵は杖を肩にした座像である。—— 河内村史 下巻(民俗編)――白山麓の伝説(河内村(編)・河内村史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
河内村史 下巻(民俗編)――白山麓の伝説(河内村(編)・河内村史)
『河内村史 下巻(民俗編)――白山麓の伝説』は、白山麓の河内村の村史の民俗編から、民話・伝説と故事を記した節を収めたものである。白山の千蛇ヶ池や富士山との背くらべ、高ボウケの大蛇、猿仏の名号、おひなの荒、天狗、菊酒、池の金山の伝説など、村と周辺に伝わる話を、白山関係の古文書や郡誌を引きながら記す。第三節「民話 伝説」、第四節「故事 伝説」、第五節「伝説」に分け、話ごとに題を立てて由来や現地のようすを添えている。