高野詣に付き添った叔母の生霊
どんな伝承か
明治三十七年、神奈川町で料理屋の台湾亭を営むチカは、病気の叔母を引き取って世話していた。横浜野毛町の高野講に属する叔母は、五月の登山にチカを代参に立て、自分の写真を託した。一行は二十四人なのに、汽車の弁当も奈良の宿も高野山の高台院の膳も、毎回二十五人分が出て、一膳だけ箸がつかずに残った。一行と別れて三人で伊勢の油屋旅館に泊まれば四人分の膳が運ばれ、修善寺へ回っても四人連れに見えたと言われた。叔母の死の電報で帰ると、留守中の叔母は眠り続けて旅の食事の話をし、高野からの下りで右足の親指を痛めたと訴えて安らかに逝っていた。チカは実際にその道で右の親指をすりむいていたという。
原典より
二十四人の筈がどうしても人別頭を敷へると二十五である。—— 心霊不滅(岡田建文・岡田建文・心霊研究・1940年(昭和15年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
心霊不滅(岡田建文・岡田建文・心霊研究・1940年(昭和15年))
『心霊不滅』は、岡田建文が著し、昭和十五年に大阪の国民書院が発行した心霊研究書である。人の心霊は肉体の死後も存続するという立場から、神道の神霊の垂示を引きつつ、心霊の本質と「化精」、遠感と魂の遊離、生霊、二重体、交霊術と霊媒、霊感筆記、幽霊写真などの物理現象、幽霊の出現を論じる。序説と七章からなり、第三・四・五・七章に「例一」「例二」と番号を付けた事例を並べ、今昔物語の説話、江戸から昭和の国内の見聞、欧米の報告を挙げる。