末の安楽寺は明治30年頃廃寺となった
どんな伝承か
三田市末の中西修家の西北にあった安楽寺は、明治三十年頃に廃寺となった。理由は明らかでなく、本尊の観音像は西末の観音堂に祀られているが、什器類の行方も判らない。檀家は末東・末西・末のすべてが加茂の正観寺へ移ったが、正観寺では檀家は引き受けたものの什器その他は何も引き継いでいないという。門野氏の郷土話によれば、安楽寺の晋山式は慶安二年で、宝暦三年の上棟式までは観音堂を仮寺としたらしい。第三世の薫和尚は五十歳の時に大般若経六百巻の写経を志し二十年を費やしたが、その重宝は廃寺の際、塩田の某家へ安値で売られたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
兵庫県民俗調査報告8――伝説(兵庫県(編)・兵庫県民俗調査報告・自治体史(民俗))
『兵庫県民俗調査報告8』第10章口頭伝承所収の伝説。兵庫県三田市周辺・千丈寺山麓に伝わる集落発祥・神社・廃寺・城跡の伝説と怪異を採録する。人を神として祀る南千丈寺山頂の松住大権現の磐座、焼き討ちされた千丈山観音廃寺、疫病神を追い払う戸守の鍾馗、法事帰りに重箱を襲う狐狸の怪、人の尿を好み小便たごを空にする狼話3題などを収める。各事例を日付・場所・人物・状況のマーカー付き事例単位で網羅した、摂津・三田の伝説と狐狼・鍾馗信仰の資料。