黒部谷無人温泉での豪雨遭難と単身探険
どんな伝承か
豪雨を逃れて黒部谷の奥の婆谷の温泉にたどり着いた著者らは、前年に廃業した無人の湯小屋で浴槽を洗い、湯につかって寒さをしのいだ。雨は翌日もやまず糧食が尽き、ウドや篠竹の筍を熱湯で煮て飢えをしのいだが、人夫たちは釘付けの二階家に押し入り、残っていた米三升や味噌で粥を炊いた。後日、著者は温泉の持ち主である魚津町の浅田家へ謝罪に出向き、今度は単身で黒部谷を遡った。無人のはずの温泉で人声がして妖怪か山賊かと怪しんだが、本願寺の法主を拝みに下山する炭焼き人夫だった。餓鬼平では大熊を見かけ、山頂でまどろむと数十匹の猿の群れに頭上で騒がれたという。
原典より
人の居るべき家ならざるに人聲する不審議 に一時は、 =此妖怪!山賊!と奇異なる感念が起きたのてあつたが…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。