見付宿・髪結松五郎方の御札降り
どんな伝承か
遠江国見付宿では、慶応三年八月十五日、宮小路の髪結松五郎方に伊勢神宮の御札が降ったと『磐田市誌』下巻が記している。西垣晴次はこれを「ええじゃないか」の初例とみなした。ただし『磐田市誌』が用いた史料は今は紛失しており、確かめることができない。そのため同地では、八月十七日の夕方に浜田屋又三郎の土蔵の軒下へ豊川大明神の御札が降ったとする「水野家覚書」の記述が、現存する史料としてはもっとも早いものとなっている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。