岡本何某、怪異の事
どんな伝承か
川西の呑海谷に岡本何某が住んでいた。ある年の正月、元日の暮れ、昼に着た裃をたたんで座敷の端に置いていると、一の間の中ほどに吊った年徳棚の燈明が、土器ごと鳥が飛ぶように裃の上へ移り、火も消えずに灯っていた。亭主は大胆な者で気にも留めなかったが、その年のある日、岡本の留守に妻が一人で囲炉裏の脇で煙草を吸っていると、どこからか猫が一匹来て膝の下に座った。近所の猫と思って撫でると毛が荒く、馬の尾のようで心地が悪い。見るうちにこの化け猫は大きな犬ほどになり、しずしずと歩いて戸口を出て、行方も分からず消えた。夫婦は只事でないと思い、家を解いて他へ移ったという。
原典より
川西の呑海谷に岡本何某住けるが、或年の正月に、元日の暮、過し事なるに、昼着たるをた、みて、座敷の端に置きたるに、壱の間中程につりたる年徳棚の燈明、土器ながら鳥の飛ぶが如く、彼裃の上に来りて、矢張、火も消へずともれけるが、…—— 岩邑怪談録(広瀬喜尚(編:藤田葆/増補:今田純一/付録:静間密)・天保年間成立・明治期増補(原本明治四十三年成稿)/昭和51年(1976)岩国徴古館刊) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
岩邑怪談録(広瀬喜尚(編:藤田葆/増補:今田純一/付録:静間密)・天保年間成立・明治期増補(原本明治四十三年成稿)/昭和51年(1976)岩国徴古館刊)
岩国藩士・広瀬喜尚(仁兵衛、天保頃の博識家)がまとめた郷土怪談集を核に、明治期に今田純一(散木園主人)が二十余条を増補(追加)し、さらに藤田葆が古老聞き取りの『続怪談録』・歴史的瑞兆を集めた『実事談』・幼童の変死記録を集めた『変死部』を継ぎ、巻末に静間密の怪火・投石怪五話を付録とした、岩国・錦見・横山周辺を舞台とする総合怪異録。