縁切榎の二代目を伐った植木屋の災難
どんな伝承か
元禄の末ごろ、伊藤身禄という油屋がいた。浅間の神を篤く信じた身禄は、富士の登山道を切り開き、山上で死ぬと願を立てて家族に別れを告げる。その別れの場に立っていた大木が、のちに縁切榎と呼ばれるようになった。以来、この木の下を嫁入り行列が通れば不幸が訪れ、根元には主の白蛇が棲むと恐れられた。明治一七年一二月四日の夜、板橋宿を焼いた大火で榎も焼けて枯れる。火事の後に植えた二代目が育つと、事情あって幹の半ばから伐り落とされることになり、頼まれた植木屋二人のうち一人は木から、もう一人は屋根から落ちて災難に遭った。人々は縁切榎の祟りだと言った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
現代民話考 9 (木霊・蛇)(松谷みよ子・現代民話考・昭和〜平成)