沼島浦の泣婆
どんな伝承か
淡路の沼島浦にも、かつては泣婆というのがいて、青竹を持って葬列に加わったということが、屋代翁の「淡路風俗答書」に見えている。古代の葬制儀礼にあった哭女の風習が近代まで各地に持続していた例の一つとして、丹後与謝郡の御家中の葬礼で、女子を会せしめず、たい飯持と泣婆とを傭って葬送した例などと並べて挙げられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(福井縣鄕土誌・昭和初期(1920年代~1930年代推定))
淡路の沼島浦にも、かつては泣婆というのがいて、青竹を持って葬列に加わったということが、屋代翁の「淡路風俗答書」に見えている。古代の葬制儀礼にあった哭女の風習が近代まで各地に持続していた例の一つとして、丹後与謝郡の御家中の葬礼で、女子を会せしめず、たい飯持と泣婆とを傭って葬送した例などと並べて挙げられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(福井縣鄕土誌・昭和初期(1920年代~1930年代推定))