河童
どんな伝承か
田平村から江迎村に通ずる山道の傍、江迎村との境に近い山中に、石を積み重ねた古い塚がある。これを対島塔という。戦国時代の末、上松浦の波多三河守は壱岐の日高甲斐守と予て怨があり、宗対馬守と約して唐津の商人助右衛門を使者に立て、壱州の立石図書に内応して日高を討つよう勧めた。立石は驚いてかえって日高に告げ、日高は平戸の松浦道可に援護を求めた。道可は立石が内応したように詐って対州勢を誘い寄せる方策を授けた。元亀三年七月十六日、宗対馬守の弟采女が兵船を率いて壱州に攻め寄せたが、上陸した軍は日高勢に撃退され、采女の船は漂流して平戸海峡の広瀬に至った。采女は船を捨て、田平の塩俵から上陸して有馬領へ逃れようとしたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第13巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第13巻』所収の「文化叙事伝説」全35話(福岡・大分・佐賀・長崎=北九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。