平家谷
どんな伝承か
稜富山円福寺の由緒。『豊後速見郡史』『豊後山香郷誌』に、正治元年、平家の落人小松氏の毛井若狭守平通俊が平家一門追福のため建立したとある。壇の浦の戦の折、重盛の子経俊(のち通俊と改名)は養父経盛とともに宇佐大宮司公通のもとへ逃れ、山香の宇佐神宮領に隠棲して小松城を築いた。ここにも源兵が攻め来たので、玖珠竜門山の岩屋根(平家山)に逃れて住んだ。やがて世の中が平静になったので山香へ戻ることになった。又井の地名は「また帰って住んだ」という意味の又居が転じたものだという。通俊は大友氏入国のとき軍功があって大分郡毛井村を賜り、以後、毛井姓を名乗った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第13巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第13巻』所収の「文化叙事伝説」全35話(福岡・大分・佐賀・長崎=北九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。