父吉松の死と鬼門の祟り
どんな伝承か
上田喜三郎(後の出口王仁三郎)の父吉松は、水呑百姓として働きづめの末に病み、床につくのが常態となっていた。ある日、牧場から久しぶりに戻った喜三郎に、吉松は薪が不足していると訴え、庭の榎と椋の大木を伐るよう命じた。その二本は屋敷の東北隅、艮すなわち鬼門に生えていた。「艮の祟りや」という不安が脳裡をかすめたが、今の世に祟りなどあるものかと自分に言い聞かせて伐り倒した。ところが倒れる途中で隣家の土蔵の瓦が二、三十枚めくれた。父の病はそのころから急速に悪化し、明治三十年七月二十二日、五十四歳で世を去った。村人は「艮の神様の木を伐ったから死んだ」と噂した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言・現代(評論)/明治〜昭和(対象))
加藤正民が「天下の浪士」の立場から、出口王仁三郎(1871-1948)を心霊的視座で描く評論。明治25年の出口ナオの神がかり(艮の金神・三千世界一度に開く梅の花)、水行の奇蹟、無筆のナオの自動書記、日清・日露戦争予言の具体的中を起点に、国祖隠退の大本神話と、ナオ(A)と王仁三郎(B)に具現した二大霊流・「火水の戦い」を論じる。